Antarctica

『今鏡全注釈』(笠間書院)

長家の本を書きたくて借りてきましたが、とにかく分厚い。鈍器です。その代わり、平安中期の摂関家について知りたい人にとっては、もう垂涎の名前目白押しです。むろん、これが「事実」とは言えないのですが、近い後代の人たちに彼らが「どのように見られていたのか」また『栄花物語』や古記録の隙間を埋めるためには充分な情報量かと思います。

ただ厚い(二度目)。

とても片手間に読みきれるものではなかった…。
これ、まず通読しながら関連箇所を付箋貼って、その後エピソードを整理しなければならぬ…。長家については、ついでくらいしか書かれていませんが(わかってた!)、周辺人物について詳しいので。返却しなければならないので、ひとまずは長家のことが書かれている箇所のみ記録します。もしかしたら買わないと駄目かも。その価値はありますが。

ただ厚い(三度目)。家の中が鈍器で埋められていく・・・。

長家…420p、忠家…422p、俊忠…422p、俊成…422p

何故か頼宗の記事が多いです。

私家集全釈叢書38『御堂関白集』(風間書房)

名前の通り道長の私家集ということになっていますが、多くの研究者が指摘するように道長周辺の人物とのやり取りを中心とした「道長と愉快な仲間たち」のグローリー☆プロモーション和歌集であり、個人のものではありません。そのため、勅撰集に掲載されている和歌は入っていなかったりします。タイトルも名前からわかるように(道長は関白はしていない)後年つけられたもので、おそらく一定の意図を持って編纂されたもの、ということでした。

実際、この和歌集を読んでわかるのは道長と倫子、彰子を中心とした御堂関白家(嫡流を敢えてそう呼んでみます)の栄光と栄華であり、資料的にも摂関家と帝以外の高位にある人物(中宮含む)との文化的な交流を通した政治的なつながりや駆け引きではないでしょうか。
ゆえに、私の知りたい道長の個人的な情報はあまりありませんでした。
『蜻蛉日記』が兼家プロモーションであるという説があるように、『御堂関白集』も道長の嫡流のプロモーションだと思いますね。私の読んだ印象ですけど。なんていうか、すごくリア充日記臭するんですよ。すごくFACEBOOKの気配がする…w つまり中身は全然ないんですよね。
そういう意図的なセレクトだけに、斎院と摂関の政治的関係性とか着目点によって面白い分析ができると思います。あと、女性たちのやり取りがすごく百合・ソーシャル。これは……これはソロリティやでえ!

また、こういうセレクトをしていること、掲載外の和歌があることを考えても、それぞれの家(物理)に「道長集」「明子集」というべき、個人の和歌をまとめたものがあって、それが子どもたちに伝授されていた、ということも想像されます。じゃないと、もっと後年になる勅撰集に選ばれないと思うので……。

注釈が非常に詳細で、いろいろな説を出しているので、たとえば人名(役職名)ひとつでも思いがけないところで参考になる情報があります。

新編日本古典文学全集18『枕草子』(小学館)

古典の注釈つき原文&現代語の本はいろいろあるんですが、いつも借りるときに困るのでメモです。

『枕草子』です。『枕草子』は原文にあたれええええ!!!というのが今回読んだ末の持論です。

いくつか論文や研究者による一般書も読んだのですが、『枕草子』ほど扱う人によってノイズの影響が大きい古典もないと思います。逆をいうとそれほど愛されてる、無視できない古典ということでもあり、研究者によってはその筆致はまるで現代のカリスマ・エッセイストに傾倒した人のようです。
それゆえに、先にそちらの印象が入って来やすく、しかもめちゃ防ぎにくい、という困った作品でもあります。やっぱり、原典を抑えてからじゃないと、そういうのは読んではいけないなと思いました。

『枕草子』の本文を読んでいると、彼女がすごく頭がよくて政治的センスにも恵まれ、男性たちの甘言にも惑わされず、距離を考えて振舞っていることがわかります。一方で、そう警戒する必要もない相手には女性特有のわがままさ、残酷さでからかったり、とごくリアルな印象があります。

それと大事なことですけど、彼女自身は道長を悪く書いてない。書けなかったということもないとは言い切れないけれど、定子の運命は、誰かひとりの悪意によって起きたものではないということを、彼女自身がよく理解していたからではないのでしょうか。それを読み手が「苛められた」とかいうのは、清少納言と『枕草子』を矮小化させるものでしかないと思いました。

彼女自身も中関白家に仕え続けることに悩んだだろうに(清原氏はそんなに有力な氏族ではない)、その懊悩はいっさい書かず、しかし、きちんと追えばわかるように織り込みながら、中宮・定子とその時代を切り取った『枕草子』はやっぱり素晴らしいテキストだと思いました。

新編日本古典文学全集26『紫式部日記』(小学館)

実際には「和泉式部日記」「紫式部日記」「更級日記」「讃岐典侍日記」です。紫式部から見た斉信が知りたかったので、借りました。

読んでみて「紫ちゃん……あんたな、ほんま…、ほんま」という気持ちになりました。非リアつらい。

たとえば、彰子に男子が生まれて、「俺たちの将来超安泰!」とばかり上機嫌の中宮大夫の斉信と実成がたまたま局の前にきて話かけて、多分酔ってるんだろう「まあ、こんな簀子じゃなんだから、下の格子開けて中に入れてよ」っていうのにも「えらい公達がそんなことするなんて軽々しいわ」って書いてるけど、どーせ、しどろもどろで返事できなかったんだろ……、っていう。うまい切り替えししてたら書いてあるはずだもんね。
それと顕光が酔っ払って若者しか乗らない舟遊びに混じってたのを見てた紫式部の呟きを聞いて、斉信が白楽天だったかな、その元になった詩を朗詠して盛り上がったってあるんだけど、おまあ…。それで終わりかよ

もしっ……、もしここに清少納言がいれば……ッ! と思わざるをえないですw
清少納言だったら、もっとうまい切り替えししただろうなあ…とか、さらに周囲が関心することを言っただろうなあ…と、現代の私でも思ってしまうのだから、当時はもっとそうだったでしょうね。まあ、紫ちゃんも大変だ……;

その代わりといっては何ですが、紫式部の人となりには親近感を抱いてしまいますw