Antarctica

『中国の研究者のみた邪馬台国』(同成社)

1986年出版、汪向栄という研究者の本です。
魏志は中国の歴史書なので、中国人から見たらどうなんだろう?と思って探していて発見しました。
残念ながら三十年ほど古いものであること、ソ連崩壊前のせいか唯物史観を感じるところがあります。しかし、それ以外は古典的とはいっても非常によくまとめられており、まずはこれを読んでから始めては?というくらい充実した内容でした。

特に圧巻なのは、邪馬台国論争につながる古代からの「魏志倭人伝」や「邪馬台国」の解釈や説を現代までつなげているところで、子どもの頃から興味があってたまに読んでいましたが、こんな歴史があったのかと驚くほどでした。どこまで調べたのだろう? と熱意を感じます。

この本で、注目すべきところは次の点です。

①当時の中国王朝にとって、魏志倭人伝の記述は「東方の実力ある国を冊封している」という以外の重要性はない、ということ
あくまで、中国王朝のためのテキストであるということですね。したがって、古代人の感覚からしても数字の正確性などは意味がないのです。

②邪馬台国がどこにあったか、はあくまで当時の生産力から考えるべきである
弥生時代を前・中・後にわけてみたときに、九州の生産力を近畿が凌駕しており、それを九州が押さえて倭の中心となることはできない、ということでした。
これは非常に説得力があります。しかし、その場合、近畿は朝貢せず、九州のみ朝貢して「日本列島の代表である」としていた可能性はないのか気になります。
というのは、近畿から中国大陸に行くルートは九州経由以外にもあり、近畿にある邪馬台国が魏志倭人伝の主眼となる存在であるなら、対馬・壱岐を通過することのみを記述する理由はほかに求めないといけないのでは、と思うからです。これは当時の国際状況から説明できるかもしれません。

③女王国は母権社会からの過渡期にあったことが重要である
この辺は唯物史観的でもありますが、先に読んだ『埋葬からみた古墳時代:女性・親族・王権』(吉川弘文館)』に通じる部分なので、とても興味深いです。古墳時代のはじめ、男性首長と女性首長は同数だったということ、戦争の増加により男性優位になっていったこととも符合します。

次は『魏志倭人伝の謎を解く – 三国志から見る邪馬台国』を読んでみたいです。

「平安期における女性と仏教について:願文を中心に」

工藤美和子 『佛教大学総合研究所紀要』17,2010/03/25 

『源氏物語』に限らないのですが、古典というとどうも「女性の罪深さ」が強調されている印象があります。それは、浮舟が最後出家という“結論を出した”という論拠にもなっているような気がして、どうも納得できなかったのですが、その辺を考えるヒントになった論文です。

大体、罪深いとかいいますが、平安時代に現代で言われるような「女性差別」ってあったんでしょうか? むろん、皆無だったとは言いませんが、その「差」がどれほど「差別」であったのか、どうも現代的視点からの意見のような感じがしていたのです。結局、「性差別」ありきであって、実際には「どういう形で、どういう理屈であったのか」が説明されていることってあまりなかったからです。

これはもう、本当にその点で明快な論文でした。実際に残っている史料をもとに「女性の往生」について考えていく内容で、そこにはちゃんと「家族として機能する」という現実的な部分も存在しています。

おかで、「浮舟の結論は(少なくとも「夢の浮橋」の時点では)出家ではない」という確信が持てました。

「『源氏物語』「陽成院の笛」考:準拠とそのもたらすもの」

山本夏希 『國學院雑誌』第一一六巻 第九号 2015年

源氏物語クラスタの、くたにさんからいただいた論文です。

公任クラスタの皆さん~!! はよう、これを読んで~!!! ここにはあなた方が求めてやまなかった傍証がありますよ~!!!

という論文です。

公任といえば、当時文壇ではもっとも注目を浴びる文人であり、紫式部の『源氏物語』を読んでいたことでも知られています。だが! このふたりそれ以外の接点が「おそらく」「たぶん」「~の可能性が高い」という推測のみ。直接の関与を示すものが全然ありません。
しかし、そのふたりをつなぐアイテムがありました! ここに! というのがこの論文です。

「陽成院の笛」というのは、頭中将の嫡男・柏木のもので、笛の名手だった彼が親友・夕霧に渡った名笛を「私の息子に渡して欲しい」と夢枕に立ち、事情を察した夕霧は父・光源氏に笛を預け、やがて薫のもとにもたらされることになるものです。
つまり、無念のうちに死を迎える柏木の思いを伝えるアイテムになっているわけです。このアイテム、実在しており、その経緯を明らかにしたのがこの論文です。

結論から言うと、この笛は公任のものだったのです。そして、果たす役割も作中とほぼ同じものでした。

道長の影響下で書かれた『源氏物語』で、光源氏を裏切ったともいえる柏木のものとして、何故公任の笛が選ばれたのでしょう。いろいろと刺激されますね! 私はこれで小説1つ書きましたね! ぜひ読んでみてください。

「清少納言と藤原実方との贈答歌について:歌語「かはらや」を糸口に」

徳原茂実 武庫川国文76巻 9p 2012/11/10

清少納言と藤原実方に恋愛関係があった、というのはわりと広く知られている説ですが、その実態がどこにあるのかまで確認をしている人は、国文の関係者でなければなかなかいないのではないでしょうか。ふたりの関係は、『枕草子』内にはなく、『実方集』などの和歌集に「贈答和歌」とその詞書(和歌に付属した説明文)でほのめかされています。

清原氏は、氏族としては藤原北家ほど格の高い家ではないので、正室ということはないでしょうし、子どもができた形跡もないので、妻であったか、一時的な恋人であったかははっきりしません。仮に子がいても、清少納言が出仕してすぐに実方は事故死しているので、庶子の赤ん坊が正式に認められるのは難しかったでしょう。実際には清少納言の娘は出仕しているので、もし実方の子なら、何かしらの形で「実は実方の子」という記述が残っていそうなものなので、その辺はちょっと期待できなさそうですね。

ともあれ、そういう人間関係を読み解くような論文です。当時の清少納言の生活をも踏まえており、また清少納言は『枕草子』ではあまりプライベートな赤裸々話を書かない人なので、いろいろと深読みできます。論文というだけでなく、ロマンとしても充分に楽しめる論文だと思います。つまり簡単にいえば、実方派に美味しい(笑)