Antarctica

『境界の日本史』(朝日新聞出版)

各地で異なるなりわい、わざ、食―そこには越え難き境があった。暮しや文化の多様性や多元性の起源を追究し日本史をみつめなおす。

日本列島の成り立ちの頃から「地域差」はどのように生まれるのかを読み解く本です。
これはとても興味深い! 異世界ファンタジーなどを書く人は一度読んでおくと参考になるのではないでしょうか?地形と気候、流通との関わりがよくわかります。

『人はなぜ戦うのか:考古学からみた戦争』(中央公論新社)

弥生時代、農耕社会への移行とともに、日本列島中央部でも本格的な集団間闘争が広がっていった。武器によって傷つけられた人骨、副葬された武器や武具、そして巨大古墳…。膨大な発掘資料をもとに列島の人びとの戦いの様相を探り、さらに戦争発動のメカニズムと日本の軍事的特質をも明らかにする。

人の戦いがどのように発生するのか、原始的な共同作業の時代から順を追って明らかにしていく企画意図はとても面白いです。通史として確認しておくと良いのではないかと思います。

ただ、邪馬台国が出たあたりで内容がおかしくなってしまって、そこから先に読み進められませんでした。この著者は邪馬台国は近畿にあったという前提で話をしていて、周辺国の埋葬の方法も「近畿にある邪馬台国の傘下にあったのだとすれば〜となるだろう」と予断で進めてしまい、以後ずっとその前提は確定として続いていくのです。仮定の上で出した推定を前提として展開していく書き方は詭弁だと思います。それが納得できる個人的な主張であればまだしも、ただの感想や推測であって、論ではないし、第一、邪馬台国の所在論を読んでいるのではないのです。

以前読んだ邪馬台国の本では著者が「所在について自身の立場を明確にせずに文章を続けるのは研究者としてフェアではないと思うので」という意味のことを書いて自身の意見を明らかにしていました。こういうことなんだなと思いました。

がっかりしました。

『邪馬台国の滅亡:大和王権の征服戦争 』(吉川弘文館)

邪馬台国論争を解決する鍵は何か。『記紀』を丹念に読み解き、邪馬台国の位置が九州北部であったことを論証。大和政権が邪馬台国を滅ぼし、どのように全国を統一したのか、その真実に迫り、新たな古代史像を描きだす。

魏志倭人伝に記載されていた「女王国」こそが邪馬台国であり、当時もっとも進んだクニがあったとしても、それは邪馬台国とは限らない、という主張、激しく頷きました。近畿にあったクニが邪馬台国であるためには三世紀に九州北部を掌握している必要がある、という点も納得です。

ただ、そのための方法論のひとつが記紀からというのはどうなのかな…とは思いました。文章を読むと論理的な齟齬はないようですが、検証の取捨選択がそれで適切なのかちょっとよくわからなかったからです。

とはいえ「記紀をひとまず史実として考えて検証する」というやり方はやっぱり必要ではないかと思います。実際に史実かどうか、どこら辺まで反映されているのか、あるいはまったくの創作なのか、年数はあてにならないとしても経過については確認し、考古学的証拠と突き合わせていくことには意味があると思います。

それって為されているんでしょうか? あるなら知りたいですね。

『中世日本を生きる:遍歴漂浪の人びと』(吉川弘文館)

中世前期、耕地は不安定で農民も武士も土地に根を張れなかった。底辺に生きる非人や遍歴する芸能民。襲いかかる災害・飢饉・病など、厳しい環境のなかで人びとはどのように生き抜いたのか。中世の社会史を読み解く。

中世全般を扱っているのですが、私がどうしても中世前半までしか興味を持てなくて読み進めなかったので、半分だけです。でも、鎌倉~室町に興味がある人にとってはおもしろい本だと思います。

半分だけなのですが、古代末期~中世前半の「地方一般庶民の生活」、また「律令制度が崩壊しつつある地方の実態」がよかったです。学習タイミングのせいなのか、この中間にあたる時期の地方支配や管理の仕方がいまひとつイメージがつかめずに困っています。そのヒントを得られた気がします。
自分が学ぶところと直接の関係はないのですが、やはり社会全体像を把握できなければ理解にズレが生じると思うのです。つまり、摂関家周辺をやっているけれど、物はいつのまにか地方から蔵に届いている…的な認識をもってあたりたくないなあ…と。この辺も要チェックですね。

『義経の登場:王権論の視座から(NHKブックス)』(日本放送出版協会)

母常磐、父義朝、義父一条長成の生きた貴族社会の血縁・姻族関係を掘り起こし、兄頼朝と再会する以前の義経の人生環境を解き明かすことを目指す。九条院呈子、平泉姫宮、資隆入道の母をはじめとする武家貴族の世界における「女のネットワーク」を解きほぐし、内乱以前の平泉権力の動向と重ね合わせながら、青年貴族義経の政治的立場を問う。「頼朝中心史観」「鎌倉幕府中心史観」「武士発達中心史観」を打破する、まったく新しい義経論。

義経登場の背景を京の権力構造から読み解く本です。
従来の公家と武家に分断された階層から平安時代→鎌倉時代の変化を見るのではなく、連続した時代としてみるために「武家」を「公家とつながっている武門階層であり、下級の公家」としてとらえる試みがとても興味深いです。

残念ながら史料の少なさゆえに推測になってしまうところは多かったのですが、院や女院という平安時代末期の権力者やその家政組織にどのようにつながるか、という話は大変刺激的です。自分がちょうどその辺の家政機関を動かす層、特に女性に興味があるので…。
義経個人を明らかにすることはできなくても、同様の「武家」たちを数多く取り扱うことで、この時代の源氏や平氏といたプレ武家的な下級公家の姿が見えてくるかもしれません。